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- 企業戦士がWEB経験0からはじめるSTEPUPブログ -
とある会話の一部。
「A君、さっきまで元気だったのに、いまは「青菜に塩」の様子ね、なにかあったのかな」
心の声:(青菜に塩??⇒しっかり味付け?色をしっかり出す?⇒美味しい?なんなんだ?)
「あぁ「青菜に塩」ね、確かにそんな状態だったよね」
と思わず、その場しのぎをしてしまうことってありますよね。
不思議なのは「今まで聞いたことのないワード(例えば、忖度とか)だと、どういう意味?」って素直に聞けるのに、なぜか『ことわざ』だと、知ったかしてしまう。
おそらく筆者の心理には、"そのことわざ自体は有名で聞いたことはあるけど、意味は具体的には知らない"という『モヤモヤ感』がそのような行動に繋がっている気がする。
そもそも昔に比べて、ことわざを使う機会自体がなく、また聞く機会もかなり少なくなっていると思う。
やはり、ここは「時代の流れなのかな」と筆者は感じている。
理由は今の世、敢えて「難しい言葉を使う」ということが、あまり推奨されなくなっているからではないかなと。※「青菜に塩」レベルは知っているだろ?は置いといて(笑)
この点は、凄く考えさせられる。
「ことわざをわざわざ用いなくても、言葉を選んで伝わればいいでしょ」という観点。
現に「ことわざ」は文学的要素が強い為か、使用することで「難しい言葉を使って…」と逆に煙たがられることすらある。
筆者ではないが、以前「難しい言葉を知っている自慢ですか」と言われている人を見かけ、「えっ…」となったことがある(笑)
本来は"何か物事を伝える時に例えを用いることで、内容を可視化させて、伝わりやすくする"のが「ことわざ」なはず。
例えば「豚に真珠」や「猫の小判」
ことわざ辞典によれば、
値打ちのわからない物には、どんなに価値のあるものを与えても意味がなく、無駄である
これは有名なので、殆どの人に意味は伝わる「ことわざ」ではあるが…
ここでポイントなのが"そのモノが欲していない物をあげても、意味がないよ"と言う例えを当時の時代背景を踏まえて、「ことわざ」にしている点。
ここが重要なポイントで、当時の時代背景をもとに書かれているからこそ、内容が可視化されやすいわけで、今の時代背景だと想像しずらい点が"わかりずらさ"に影響しているのではないか。
そう思うと「ことわざ」も、時代の流れと共に変化を加えていく必要がある気がする。「文学としての価値」をとるか、「伝える為の例えという本来の目的」をとるか、非常に悩ましい問題。※勿論、変わることはないのだろうけどね、勝手な想像です(笑)
・「猫に小判」であれば「猫に諭吉」とか
・「豚に真珠」であれば「豚にスマホ」とか
なんかしっくりこないが…、そういうこと(笑)
とは言え、「文学的価値」という点では、とても参考になるのが「ことわざ」。無理に「活用する」点に焦点を当てなければ、ことわざが生まれた背景や由来から沢山の学びを得ることが出来る。
因みに「青菜に塩」のことわざが気になっている人もいると思うので。
語源由来辞典によれば
人が気力や元気をなくして、しょげるさま。
と説明がされている。
因みに類句に「なめくじに塩」もあるのって知っていましたか?今の時代なら、絶対にこっちのほうが伝わる気がするのは、これも筆者だけだろうか。
おしまい。
【文字数:1440文字、作成時間:48分】